「その他」カテゴリーアーカイブ

HONDA陸上部所属、元東洋大学の設楽悠太選手

東洋大学に所属されていた時、2度の箱根駅伝総合優勝に導いた設楽悠太選手は、現在HONDA陸上部に所属されています。
東洋大学時代は、お兄様の啓太選手とともに、東洋大学のWエースとして話題になっていました。

ファンも多くいる、人気と実力を兼ね揃えた選手として注目されています。
実業団に入られてからは、世界陸上やリオデジャネイロオリンピックの日本代表として、世界でも活躍されています。

リオデジャネイロオリンピック後、東京マラソンに出場され、序盤から攻めの走りで、初マラソンながら2時間9分台のタイムでゴールされています。
東京オリンピックでの活躍が期待されている選手です。

世界陸上2017の男子マラソンの日本代表は、惜しくも逃された設楽悠太選手ですが、再びトラックで世界陸上の代表を狙うことを発表されました。

『リオデジャネイロオリンピック後は、マラソンをするのでトラックは最後』という発言もありましたが、ファンとしてはまたトラックを走る設楽悠太選手が見れるのはうれしいですね。

ロードに強いと言われている設楽悠太選手ですが、トラックでの実績も世界大会を経験されていることから、充分あると思います。
派遣標準記録突破されて、また設楽悠太選手が世界で活躍されることを期待したいと思います。

天才ジョッキー!武豊の才能!

武豊騎手が「炎の体育会TV」という番組に出演されていました。
バラエティ番組にはたまに出演されていますが、ゲームという形での出演はとても珍しいように思いました。

同じ騎手のルメール騎手とデムーロ騎手、浜中騎手と一緒にチームでレギュラー陣とゲームを闘っていました。
ロデオゲーム、流鏑馬、エアーホッケーなど様々なゲームに挑戦していましたが、武豊騎手は全て器用にこなしていました。

そして、最後にあった細い支柱にスプーンで小さな鉄球を乗せるチャレンジに挑みました。
このチャレンジはかつていろいろな有名アスリートが挑戦してきましたが、誰も成功したことはありませんでした。

ですが、武豊騎手は見事一発目で成功させてしまったのです。
さすがに歴代最多勝利をあげる天才ジョッキー。

武豊騎手は、運を持っているといいますか、並外れた集中力と決断力があるのだと思います。
何をやってもこなせる華がある方だなと感じました。

最後のチャレンジに成功したので、武豊騎手のやってみたいことが叶えられることになりました。
その願いは意外なもので「吉野家に行きたい」というもの。

丼ものを食べることを控えていたので行く機会がなかったようなのです。
システムも分からず、おろおろする武豊騎手の姿がとても可愛らしかったです。

第100回ダービーまで乗る!競馬をギャンブルからスポーツに変えた武豊

興味がなかったりほとんど知らない分野の話であっても、その人の名前だけは聞いたことがある、という存在の人っていますよね?
競馬における武豊騎手がまさにそういった存在であると思うのですが、たとえ競馬をしない、よく知らない人でも「武豊」の名を聞いたことがない人ってあまりいないのではないでしょうか。
日本中央競馬(JRA)所属の武豊騎手は、JRA歴代最多勝利記録および歴代最多騎乗数記録保持者です。

現在も現役ですので、騎乗する度、勝つ度にこの2つの記録は更新され続けているのです。
面白いのは、すっかりべテランジョッキーとなった武豊騎手は記録によって「最年少」になったり「最年長」になったりすることです。
これも長く現役で活躍しているからこその珍記録です。

そんな武豊騎手も2010年の落馬事故によって長期離脱を余儀なくされ、復帰後も長いスランプを経験しました。
騎乗数も減り、なかなか結果が出ない時期が続いたのです。

競馬は成績上位の騎手に良い馬の依頼が行くという流れがあるため、成績が振るわない時期にはどうしても強い馬が回ってこない傾向があります。
そして騎乗数も減っていくのです。
本当にシビアな勝負の世界です。

そんな時、武豊騎手に積極的に騎乗を依頼したのが「メイショウ」の冠名で有名な松本好雄オーナーでした。
現在は、生産と育成を兼ねている大手牧場の会員制馬主が増えています。

もちろん個人馬主もたくさんいますが、長期に渡って馬主業を辛抱強く続ける馬主はさほど多くはありません。
この松本オーナーは、武豊騎手の父親である邦彦さんが現役の時代からの、言わば老舗馬主さんです。
兄の豊騎手だけでなく、現在は調教師として厩舎開業に向けて準備中の弟、幸四郎さんにも多くの馬を乗せていました。

その松本オーナーが、武豊騎手の窮地に手を差し伸べてくれたのです。
人を育てる馬主が減っている中で、昔ながらの馬主さんの心意気のようなものを感じました。

武豊騎手の功績は、数字に現れているものばかりではありません。
武豊騎手は、それまでギャンブルとしてしか認識されていなかった競馬をスポーツに押し上げたのです。
武豊騎手がきっかけで、多くの女性ファンが競馬場に足を運ぶようになりました。

最近は武豊騎手の年齢を取り上げて、現役騎手に対してかなり失礼なインタビューを目にする機会もあります。
そんな時武豊騎手は「第100回ダービーまで乗るのが目標」と答えています。

100回目のダービーの時には、63歳になる武豊騎手ですが、もしもできることなら本当にその姿を見てみたいです。
競馬の概念を変えた現役のレジェンドが、第100回ダービーに乗る姿を信じて、これからも応援していきたいと思います。

今村駿選手、スウェーデンリーグのオルケルユンガ在籍

順天堂大学卒業後、元堺ブレイザーズで全日本でも活躍した、セッターの今村駿選手。
元全日本代表の井野亜希子さんと結婚をし第一子を授かり、奥様は現在第二子を妊娠中です。

今村駿選手のひとつでもある、行動力や決断力です。
2020年の東京オリンピックを見たときに世界を知っている選手が少ないということで海外への移籍を決断しました。

しかし堺ブレイザーズを辞めたときには未だ移籍先は決まっていませんでした。
奥様とお子様がいるのに、海外に行ってプレイをしたいということで今村駿選手は大胆な決断をし、裕貴ある行動をしたと思います。

そして、順天堂大学の先輩であり第10回全日本アジアユースのアナリストに就任した山崎 陽平さん(嘉悦女子大学のアナリスト)のアシスタントも有り、無事に海外に移籍をする事が出来た選手です。
当然、奥様(井野さん)もNEC在籍後に海外でバレーボールをされるなどの経験も有り、十分に理解を得た上で今村駿選手の決断をサポートしてきました。

そして今村駿選手のすごいところは、やはり自分を追及する事や海外バレーを日本に発信するということでスウェーデンリーグについてをブログを通じて解説しています。
日本との違いといった点で驚くことも多くあるそうですが、アットホームでチームに家族が受け入れられるといった内容の記事も書かれていました。

先日、リーグを終えて日本に帰国し(奥様は出産のため先に帰国されていましたが)、リーグでは3位という結果に終わって悔しかったと話していましたが、海外移籍で慣れない生活の中スタメンとして起用され海外バレーの魅力を存分に伝えてくれる今村駿選手が全日本代表入りしてプレイしてくれることを期待します。

現在の全日本バレー男子は、東京オリンピックに向けビーチバレーに転向する人も多くいます。
そうした中、インドアのバレーを盛り上げる為にも今活躍している若手の新人だけではなく、ベテラン選手として海外で学んだプレイを後輩たちに伝えながら全日本に復帰して日本のバレー界に衝撃を与えて欲しいです。

ケンブリッジ飛鳥選手は日本人初の9秒台を出せるのか?

昨年のリオ五輪、100メートルX4のリレー競技でアンカーとして走り、銀メダルに貢献したケンブリッジ飛鳥選手。
現在、所属していたドームを退社しプロとして活動 、2017年2月にはスポーツメーカー・ナイキと契約を結んでいます。

ケンブリッジ飛鳥選手は父ジャマイカ人、母日本人のハーフで、ジャマイカで生まれ、2歳の時に日本へ移住しました。
子供の頃はサッカー少年だったとのこと、中学の時に陸上部の顧問の先生から勧められて陸上を始めたのだそうです。

ケンブリッジ飛鳥選手の大学時代はけがで競技をすることができない時期もありましたが、昨年5月に行われた東日本実業団陸上競技選手権・男子100m予選で自己ベストとなる10秒10を記録し、リオデジャネイロオリンピック参加標準記録を突破しました。

リオ五輪では個人として準決勝まで進出、100メートルX4のリレーでは銀メダルを獲得しています。
15日に行われた米フロリダ州クレアモントの競技会で男子100メートルに出場したケンブリッジ飛鳥選手は予選で追い風5・1メートルの参考記録ながら9秒98の好タイムをマークしました。

これは、一昨年3月に米テキサス州の競技会で9秒87(追い風3・3メートル)を出した桐生祥秀選手(東洋大)以来2人目となります。
日本人にとってなかなか破ることのできない9秒の壁を破るのはやはりケンブリッジ飛鳥選手ではないでしょうか。
体調に気をつけて、東京五輪では夢の9秒台を出してほしいと思っています。

川内優輝選手は低迷した日本マラソン界を救う?!

川内優輝選手は公務員として働く傍ら、マラソンに挑戦している日本長距離界に例を見ない選手です。
実業団で専門的な指導を受けて、トレーニングしているわけではなく、週末にレースに出場することが川内選手のトレーニング法と言われています。

2011、2013年と世界陸上の日本代表に選ばれていますが、オリンピックへの出場はありません。
昨年の福岡国際マラソンで日本人第1位の全体順位3位でロンドン世界陸上有力候補となっています。
世界陸上への出場は3回目、結果を出して、東京五輪につなげてほしいですね。

マラソンというのは若ければいいというものではなく、経験がものをいう競技です。
川内選手も気づけば30歳、東京五輪の時は33歳、オリンピック挑戦はラストになるのではないでしょうか。

日本のマラソンは過去に何度も世界を制し、お家芸と言われましたが、今ではアフリカ勢にはまったく太刀打ちできない状態です。
川内選手のような枠に捕らわれない、個性的なランナーがもっと活躍してほしいなと思います。

川内選手が海外で専門的なトレーニングを受けたら、もっと早くなるんだろうかと考えることもありますが、今更トレーニング方法を変えるのも少し心配です。
このままでどこまで世界と戦えるのか、期待したいと思います。

末續慎吾選手、走り続ける陸上競技界のレジェンド!

現在、日本陸上短距離界といえば、桐生選手、山県選手、ケンブリッジ選手などが思い浮かぶかと思いますが、陸上界の生けるレジェンド、末續慎吾選手の功績は、彼らを遥かに上回ります。
末續慎吾選手は、日本の陸上界で、オリンピックと世界陸上のメダリストとなった、ただ一人の人物です。

九州の熊本で育った末續慎吾選手は、高校生の頃に国体で2度優勝し、才能を表しました。
高校を卒業し、東海大学に進み、そこで運命的な出会いをします。
高野進コーチとの出会いです。

高野進コーチは、自身が400m走の選手で、バルセロナオリンピックでのファイナリストでも知られています。
高野進コーチは、従来の、外国人を真似たような日本人選手の走り方に疑問を持っており、日本人独自の走り方を追求していました。
そんな中、自分の考える日本人独自の走り方を体現してくれる、理想の選手である末續慎吾選手と二人三脚で世界を目指しました。

元々、走る上で、自分のバネが強すぎる故に上手く力を制御できずにタイムをロスしていた末續選手でしたが、高野コーチが指導した「ナンバ走法」と呼ばれる走り方をモノにし、2003年に見事、日本陸上界史上初の、世界陸上200m走銅メダルを獲得し、さらに5年の2008年にはオリンピックのリレー種目でも銅メダルを獲得しました。
北京オリンピック後には、活動を一旦休止しましたが、休止期間を経て再び陸上界に復帰し、現在も走り続けています。